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8/11/2009 風雨無情,人間有愛 2009年8月8日,南台灣遭受半世紀以來最駭人的水災,無數的山區村落因雨水沖刷土石崩動,昔日家園捲入滾滾洪流,至親摯友瞬時生死兩相離。。。這場造化弄人的浩劫遠遠超過921震災,天地唏噓。
嗷嗷待哺的嬰兒需要奶粉,教科書學用品付諸泥流的學童需要繼續求學,年邁長者需要安養天年的棲身之所,罹難同胞需要棺木,天災搶走了太多太多。。。
現時平安的我們,至少能做些甚麼。
台灣子民,今天,是我們該為自己的鄉土,自己的同胞,展現大愛的時候了。
台灣世界展望會
郵政劃撥:15752467
註明:莫拉克水患救援
愛心專線:02-2175-1995
中華民國紅十字會
郵政劃撥:14341596
註明:八八水災
愛心專線:02-2362-8232
感恩!!!!!!!! 11/1/2008 奇遇 標題掛了兩個多月,沒丟上一個字,不少朋友狐疑,在這窮鄉僻壤能遇到啥。
艷遇就甭想了。
去年十月三十日,APP的學校辦牧場參觀,地點是近郊的「郡山石筵ふれあい牧場 」。或許是和老師同學一起玩,特別有意思,即使過去也曾多次帶她到鄰縣那須高原的牧場玩,回來後她對我百般宣傳,說有如何如何地好玩,一定要“帶我”去開開眼界。
究竟好不好玩,在此就不予置評了,橫豎就是陽春牧場,只有最基本的設施。過午之後,冷風吹得我們直打哆嗦,在販賣部買了兩串味噌蒟蒻丸,取些熱氣,還給孩子買杯香濃的鮮牛奶,她拿出日記本,一面寫一面喝,比手畫腳地描述前天她和同學們在這牧場體驗了擠牛奶,要我學著她的手勢,強調要有韻律感,才擠得出來。隨後喝一口桌上的鮮奶,嘴邊白了一圈:「哇!想不到這裡的牛奶這麼好喝!」讚不絕口。
離開牧場,瞥見路標上寫著:「銚子ヶ滝まで5km」。記得有個學生曾建議我去這個日本瀑布百選之一的銚子瀑布看看,既然只有5公里遠,既來之則往之,索性按照路標的指示向瀑布前進。
沒多久,抵達一個登山道入口,沒有停車場,五六輛車零零落落靠邊停車。下車前,不忘帶上一個餅乾盒,時值深秋,沿途正好可以為姑媽撿幾片好看的紅葉。母女結伴登山這是第一次,APP平時好動,看似體力不錯,卻不擅長走長路,每年回台北,走不到幾步就想坐計程車。與其說她體力不佳,應該說是缺乏毅力。平時她不需走路上學,放學後去補習也是專車接送。和在台北時不同,台北街道繁華,對我來說,走千遍不厭。而這裡呢?住家到所有目的地之間的路段窮極無聊,想到就腳軟,加上學校基本上希望學童搭校車或家長接送,以測人身安全,導致APP不愛走長路。
今天她的心情卻似乎異常的好,捧著餅乾盒一路為姑婆物色長得好看的落葉,沿途與我們擦身而過的僅有六七人。偶爾也出現「熊出沒注意」告示,心想天候已冷,野生黑熊也該冬眠了。一路上說說笑笑,打打鬧鬧地往深山走,聽見彷彿是瀑布的水嘩聲,以為就要接近,卻不見任何流水的蹤跡。我們畢竟不識山路,就在山裡任回音與山林之美戲弄。
眼看天就要黑了,才警覺自己此行多麼唐突,沒帶水,沒帶其他保暖衣物,沒有手錶,雖然不安,卻不甘願半途調頭,還好,在這麼想著的當兒,看見瀑布將到的告示牌,最後有一段極為險峻的下坡路,此地陰濕,泥土地滲水易滑,必須抓住一旁的鐵鍊踏實地下去,下去之後就能仰望瀑布,就差一點點了,我戰戰兢兢走在前面,APP也早將裝滿落葉的餅乾盒放進我的背包,小心翼翼……
險坡過去,才走幾步就看見瀑布,天真的要黑了,姑且不再靠近,隨手拍張照片後就要回去。這次APP走前面,我護著她。爬上那險坡後,APP回頭等我,她往下望著我的同時,瞄到一個身影,立在那兒,以為是登山遊人,沒料到那身軀倏地伏地,跑了起來。她睜大眼睛,一臉驚恐地壓低聲對我說:
「媽,有熊耶」。
「怎麼可能,都這麼冷了」我爬得喘噓噓地回她。
「真的有」。
我順著她的眼神看過去,哇咧!兩三百公尺遠處還真的有一頭圓滾滾的黑熊背對我們跑著!平生第一次體驗到何謂逃生,明明人家黑熊也不朝自己奔來,卻滴咕著不知道這山裡究竟有幾頭熊,回程會不會再遇見迎面而來的,如果被這頭黑熊發現,追上來怎麼辦,真的要裝死嗎?有勇氣裝死嗎?短短幾秒間想了好多,回程不算短,一開始就遇到熊,我只叮嚀APP:「如果當面遇上了,媽媽先和牠過招,妳就只管跑到停車處求救……」
路上又遇到兩組人,我告訴他們再走下去有熊,一組祖孫三代的遊客就做罷了,另外有一個獨行俠卻堅持入山,我一臉狼狽地祝他好運,後來的路上,就是不斷地跑了。
十一月一日是祖母的祭日,我和APP意外的在這一天有了這段奇遇。後來告訴學生們,連登過三十幾次富士山的登山迷都說從沒遇過熊,直說我們很幸運。回家後上網查了一下,再度反省自己的莽撞。前往有野熊棲息的山林時,要避免清晨和黃昏時候,牠們多在這些時間出沒。而且,其實熊也不喜歡遇到人。所以,上山時,身上帶著鈴鐺或收音機,讓熊知道你來了,牠就會離遠一點。
難怪,接受我忠告的祖孫三人,回程上說話說得好大聲,當時急得想叫他們閉嘴,現在我明白了自己的無知。如今餘悸全消,入冬後,我又造訪一處“熊出沒注意”的「達沢不動滝」,高聲唱歌……
9/1/2008 生命中最好的養份有個小男孩幾乎認為自己是世界上最不幸的孩子,因為患脊髓灰質炎而留下了瘸腿和參差不齊且突出的牙齒。他很少與同學們遊戲和玩耍,老師叫他回答問題時,他也總是低著頭一言不發。
在一個平常的春天,小男孩的父親從鄰居家討了些樹苗,他想把它們栽在房子前,他叫他的孩子們每人栽一棵。父親對孩子們說,誰栽的樹苗長得最好,就給誰買一件最喜歡的禮物。
小男孩也想得到父親的禮物。但看到兄弟姐妹那蹦蹦跳跳提水澆樹的身影,不知怎麼地,萌生出一種陰冷的想法:希望自己栽的那棵樹早日死去。因此澆過一兩次水後,再也沒去理它。
幾天後,小男孩再去看他種的那棵樹時,驚奇地發現它不僅沒有枯萎,而且還長出了幾片新葉子,與兄弟姐妹們所種的樹相比,顯得更嫩綠,更有生氣。父親兌現了他的諾言,為小男孩買了一件他最喜愛的禮物,並對他說 : 從他栽的樹來看,他長大後一定能成為一個出色的植物學家。從那以後,小男孩慢慢地變得樂觀向上起來。
一天晚上,小男孩躺在床上睡不著,看著窗外那明亮皎潔的月光,忽然想起生物老師曾說過的話『植物一般都在晚上生長。』何不去看看自己種的那棵小樹?他輕手輕腳來到院子裡時,卻看見父親用勺子在向自己栽種的那棵樹下潑灑著什麼。頓時,一切他都明白了,原來父親一直在偷偷地為自己栽種的那棵小樹施肥!他返回房間,任憑淚水肆意地奔流。
幾十年過去了,那瘸腿的小男孩盡管沒有成為一個植物學家,但他卻成為了美國總統,他的名字叫富蘭克林‧羅斯福。 愛是生命中最好的養料!不容置疑。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 8月22日,在創大的夏季集訓接近尾聲,清晨的勤行會結束後,一位來自石川縣的同學起身告知大家當晚有一場題名為「創價教育與創立者」的特別演講會,希望我們撥冗參加。 第二天有民法總則考試,掙扎一陣後,決定大不了到自習室挑燈夜戰,不想錯過這除了上課下課以外的課後活動。 在學生食堂用過晚餐,走進S202教室(至少有五百個座位的大教室)已經幾乎座無虛席。講台上坐著一位長者低頭閱讀手稿似的紙張,引導入座的同學們低聲地調整空席,入口處的接待組同學精神抖擻地向每個進場者道晚上好。不久,早上那位和我同宿舍的同學拿起麥克風向大家介紹演講者。這時,講台上的長者起身走到中央。 萩本悦久老師,在東京創價小學執教二十五年,也是該小學的老校長,退休後在大學裡擔任幼教課程的客座講師。看他的姓氏和臉型輪廓,頗像資深藝人萩本欽一,後來,在演說內容裡得知了萩本欽一正是老師的胞兄。 老師在創立者池田先生身邊工作大半輩子,在一個小時短短的時間裡,描述幾個在創價小學和中學中他經歷過的幾件事。 有個小一的男孩,上課時間總坐不住,別的同學在聽課,他就在院子裡看植物抓蟲子。有一天,創立者來校,在廊道上撞見這小男孩,旁邊的老師們都心想事情不妙,擔心創立者怪他們任憑學生上課時間在教室外遊蕩,想不到創立者把男孩叫到身邊,請身旁人為他們留影紀念。拍過照片後低頭看著男孩說:「你長得真好看,以後一定是個生物研究家」不但沒問他怎麼不在教室聽課,還贊美他一番。 這男孩,如今是一位醫師。 另一則是當事者親口告訴萩本老師的往事。 東京創價中學創立初期,當時學校還是採用成績排名,有個姓櫻井的男孩,為了親眼見創立者努力考進創價中學,而第一學期的成績,卻是三百多名裡的倒數二十幾名。第二學期開學不久的某一天,班導師告訴他和幾個同學:「創立者要見你們,趕快去某某教室集合!」聽了他喜出望外,飛也似地跑去集合。 打開教室門,一屋子的低氣壓,就他一個人難掩雀躍。發現狀況不對的他,問過之後才知道今天創立者要見倒數三十名的學生。他再也高興不起來,沒想到自己是因為成績差才得見池田先生,慚愧不已。 池田先生入座後一一問他們住在哪裡,每天怎麼上下學,唯一囑咐他們的,就是:「一定要孝順父母!」不孝的人,沒有資格成為創價學園的學生。完全沒有問他們為什麼成績那麼差。 回家後的櫻井同學,自勵往後不能再讓池田先生擔心自己的成績,下一次見到池田先生,一定要拿出好成績! 過幾個學期,他的成績已經名列前矛,隨後考進創大,又進創大的研究所。研究所入學那一天,他的父母因故遲到,剛好在文學樓的入口遇見創立者池田先生一行人,櫻井終於如願向創立者報告自己今天起要進研究所深造。 如今,櫻井在埼玉某大學任教。由於我的室友要趕報告沒能參加演講會,回宿舍後我把聽來的如數家珍的告訴她,提到櫻井教授時,她發現什麼似的告訴我,以年齡和專任科目聽來,櫻井教授極有可能是她在埼玉唸大學時的教授,當時大學裡只有櫻井教授是創價學會員,聖教新聞曾來採訪教授,她和幾位同學剛好在研究室,她們的背影也入鏡呢。 她說:「不知道櫻井老師也有過一段曲折的求學過程」 萩本老師指出,創立者總是對教師們說:「我的弟子們,要請各位老師多費心」。第二天中午,我在本部棟的五樓展覽館參觀世界各國大學頒授給池田先生的名譽教授獎時,在另一邊展示池田先生勉勵學生們的真跡,有一幅,我一見眼淚即奪眶而出。 「わが命よりも 大切な 創大生」(比吾身生命更重要的創大生) 在大學的兩週,池田先生幾天就來一篇鼓勵,怕我們渴了,發涼茶,怕我們熱壞了,發冰淇淋,對年長的同學們,更是要教職員們特別留意他們的健康狀況。最後一天的課,怕我們回家路上餓了嘴饞,發餅乾。 睽違創大近十年,這個夏天,我找回過去,接續到未來――不該再讓人生之師擔心。 愛的教育,就是徹底的相信! 7/30/2008 最近というのは・・・・・・ 「Sakanaが大好きなBuda」さんはじめ、皆様、ご無沙汰しております!
学校の送迎(10日ほど前より夏休みですが)、家事・仕事・勉強、習い事の送迎(習い事は夏休みありません)、宿題のチェック、そしてまた仕事、勉強の輪廻にグルグルと回っている日々を穏やかに過ごしております。
仲夏の今ごろ、皆さんは元気にお過しているのでしょうか?
先週末は、ある生徒が留学先の浙江省より一時帰国するため、食事会を設けまして、相変わらず陽気な振り舞いを見せて頂き、今日は、彼女がまた中国へ旅立ちました。明日には、ある生徒が来月上海へ転居するので、壮行会が行います。 まさしく、出会いの数だけ、別れがあり、そして再会、また・・・・・・。
まだこんな年ですが、自分のことを先生と呼んだ方々の成長ぶりを目にして、やはり感動と感謝が溢れます。
人生において、同じ時期に様々な立場や役が演じる、或いは演じたい「自分」があります。すべてうまくいけるとは限らないので、自らのエネルギーを消耗すぎないように、選択したうえ、遣り甲斐のある一時の「自分」を全力投球しようとしています。
明日は飲み会だ、一次会も二次会も飲み放題だそうです。飲んで歌って。生徒たちと一緒の時に、やはりついつい教室にいるように、ネタを持って場を盛り上がりがちです。それが全然いいんです、もっともっとサビース好きの傾向もあるんだが、それが本当の自分かどうかについて、自分さえわかりません。
云わば、酔っ払った翁の気持ち(狙い)は酒にない・・・・・・
確信できるのは、私は、人々の笑顔を見るのが大好きです。
簡単でありながら、ごく一部の最近でした。
5/30/2008 私が悲しいとき5/7/2008 平和への願い 5月の来日が予定される中国の胡錦濤国家主席が、来日時に創価学会の池田大作名誉会長と会談する方向となっていることが19日、分かった。中国側が「胡主席が日本で会いたい民間人3人のうちの1人」として池田氏を指名したという。胡氏は主席就任前の昭和60年と平成10年にも都内で池田氏と会っており、会談は今回で3回目となる。
胡氏の来日について日本政府は、中国側に5月6日からの5日間の日程を打診中で、現在、正式な回答を待っている。胡氏は日本で天皇、皇后両陛下や福田康夫首相と会談するほか、中国とゆかりの深い古都、奈良などを訪問予定で、この間に池田氏との会談をセットする形だ。 中国は昭和47年の国交正常化の地ならしを行った池田氏について「井戸を掘った功労者」と評価している。また、「中国で池田氏は宗教家というよりも、強い力を持った政治家という位置づけだ」(日中外交筋)とされ、公明党などを通じた政界への影響力にも期待しているとみられる。(産経新聞) ソ連共産党解体とソ連崩壊、そして40年以上続いた冷戦を終結したキーマンである前ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏が、これらの歴史的な快挙を果たした1991年の前の1990年に、池田大作氏と初対談、以来親交を深めづつ、政界引退後も池田大作氏を会いに何度も来日しました。AFP通信モスクワ報道4月8日の記事による、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、同じノーベル平和賞を受賞者であるゴルバチョフ元大統領にチベット問題を解決するため助けを求めたと報じられた。ネット上は、「胡錦濤はダライ・ラマにはあわず、池田大作と会うのですが、どちらと会うべきだと思いますか?」という投票があります。正直に私も前から胡錦濤氏が早めにダライ・ラマと平和に向けて対談すべきと願う一人でした、だが、我々庶民と指導者の思考回路は違うのも現状です。同じ世界級宗教指導者であり、国連平和賞を受賞しただけではなく、実際に世界平和のために奮闘してきた池田大作氏は、ゴルバチョフ氏を介して、きっとダライ・ラマと胡錦濤氏との平和の架け橋として働いていると信じて、5月9日、両氏の会談後の動きを心より期待しています。4/19/2008 初めてのカラオケ 大陸の方との付き合いがかれこれ10数年、なんと本日は、初めて一緒にカラオケへ行きました。
今日は、受講生が開催する慣例の花見会です。天候に恵まれなかったため、とある公民館で中国人と日本人が和気藹々交流しました。
公民館を離れる前、市内に戻ったら一緒にカラオケへ行きませんかとある武漢出身のお姉さんに声をかけられて、どうせ家に帰っても雨空を仰げるしかないと思い、後ろについて行きました。
今までは生徒たちと年に何度か歌いますが、中国歌を歌うと、やはり「知音有幾人」の感嘆がします。今日は違う、皆さんは留学生を経て現在日本で働く方々ばかりなので、中国ソングはもちろんのこと、J-POPから演歌まで幅広く共に楽しめる。
何より驚いたのは、共通にわかる歌が多かったことです。主に80年代、90年代の歌で4時間を盛り上げました。「それぞれ成長の場所は違かったでも、同じ青春時代を過ごしたよう」の感じが胸に溢れながら、何曲もリレーで歌いました。
「この歌が流行った時、俺は初恋をしていた」とか「この歌は、私の小学校高学年の時の愛唱歌だった」とか・・・・・・
しかも、皆さんはとても愉快な性格の持ち主であり、去年の嘉義の友達と遊び以来、久しぶりに郡山でこんなに笑えた。
デリケートな話題さえなければ、大陸人と台湾人が、ごく普通に、自然に楽しめること、改めて感じさせられた。
これから、台湾と大陸の人は、ますます仲良くなるのでしょう。政治、制度、我々庶民とあまり関係ないどうでもいい(?せめて今日はこう言わせて)利害関係などを去って置いて、人間同士の付き合いだけなら、やはり、同じ文化・言語のメンバーと、この異国の地で、たまに集まって楽しいひと時を共にするのは、いいですね。
初めてのカラオケ、記念すべきのゆえ、一こと記します。謝謝大家!
3/19/2008 注意!!選舉需知! 2005年9月21日,我取得日本國永久居留權。
明天,我要回台灣。
剛才,我在再入國入國登記卡的渡航目的欄上,強而有力地填上
「選總統」!
昨天有個老苦旦,沒頭沒腦說回國選舉後就返回僑居地的人,不是台灣人。
誰是什麼人,由不得人說。
自己知道自己是誰……。
聰明人都知道,除了中共,還有比民進黨更不可理喻的政權嗎?呵呵……。
時間不早,懶得謅了,主要想提醒所有對台灣有愛,前往投票所的同胞們,按下選舉章戳卜之後,用面紙在上面壓一壓再對折,省得把蓋在2號的章戳複印到1號,搞半天變廢票,欲哭無目屎唷。
身份證和印章別忘囉~!
祝我們的台灣 馬上快樂!
P.S.20日早晨,看到宣導廣告,這次總統選舉因為只有兩組競選人,選票即使對折也不會複印到另一組,即便如此,防止"奧步"(爛招),匹夫有責!
3/16/2008 APP、初めての演奏会 ♪7th
Piano Concert
Produced by MAKI YAMAMOTO
On Sunday March 16. 2008 at 12:30 p.m.
at the mahora-hall koryukan town miharu
Program No.7: APP
1.みつばちのマーチ/外国の曲
2.ペルシャの市場/バスティン
3.バンドの行進/バスティン 今日は、待ちに待った、APPの初めてのピアノ演奏会です♪
ビデオを撮るために、ソロの時の写真が残念ながら撮れませんでした。
今朝、家で最後の練習した時、寝ぼけかと思い、いまいち具合はよくなかった。でも、初めてのステージを向かえる直前、不安を与えたくないので、下手と思っても、「上手ですね、こんな感じで行こう。観客は多いから怖いと思わないで、皆は石と思えば、全然気にすることありませんよ」と、持ち物を確認しながらなるべく気楽に言いました。
先生から5枚の招待状をもらいまして、私の性格はあまり人と行き来するのが好きではありませんので、招待する相手は全て主人公であるAPPに決めて貰いました。5枚のうち、1枚記念に取って置きまして、あとの4枚、意外と全部、私の受講生にあげました。皆は、いつもAPPをかわいがっていて、しかも出席できそうな方々です。
尾形さん、渡辺さん、ゆきみちゃん、笠松、それから、クラスメートのみさきちゃん、皆さん、遠路よりAPP初めての晴れ舞台を見届けて頂きまして、誠にありがとうございました。
今になって言いますが、自分のステージでもないのに、自分のこと以上緊張しました。今日の演奏は、お辞儀から閉会の挨拶まで、ミス一つもなく、魔法のステージと意地悪く言わず、娘の努力を褒めてあげたいです♪
2/14/2008 出発 午後、1時半、福島発・上海行きのフライト、MIKIさんは中国へ語学留学に旅立ちました。
何か持たしていいかと考えたすえ、最近、趣味として作ってたつるし飾りをあげたいと決めました。日ごろ針仕事あまりしないので、作るには時間がかかり過ぎて、なんとかフライトの前に空港へ駆け付けたが、顔が会えずに、入国管理局の職員につるし飾りを渡して、展望台へフライトを見送りに行った。
きっと希望と不安をトランクにいっぱいいっぱい入れて、新しい生活に飛び込みに違いない。
ちょうど11年前の今日、私は日本に来て定住するようになりました。抱負も計画も持たずに、来るだけ来ました。
人生には、きっと正解は付けないものでしょう。失うものがあれば、得るものもきっとある、無駄なことは決してありません。来てよかったか、来ないでよかったか、回答無しです。
そんな過去に拘わずに、これから一日一日の「今日」が好きになれれば、あの日の「出発」は良き旅のスタートと思えるでしょう。
他責でも、人のせいでもありません、自分の足で道を歩んでいるので、すべての「出発」は自分の心から。そして、出発して本当に良かったと心から言えるように、旅の諸々が真剣に向き合うことが、旅人である私とMIKIさんの課題であり、自己責任でもあります。
人生は、出発してから帰り道のない長い旅です、小単位の毎日でも、自分が納得できるの出発しよう。
Goodluck for you, goodluck for me.
2/4/2008 うちの親子 今日で立春になりますが、窓の外、冬そのもの銀色の世界、雪を被った桜木に微小な蕾のみ、季節変わりのメッセージ。
日曜日の昨日、早朝からAPPと受験(?)に忙しかった。浮付板キック・背面キック・背泳ぎに続き、今回はクロールをクリアします。普段練習する時は、仲間を意識して結構速いです、進級テストの昨日、「クロールは俺が一番速いよ」と宣言した男の子を後ろにして、27秒94で1位の成績を達成しました。週一回の水泳レッスン、高温できついな漂白水匂いを漂っている室内プールの二階、フェンスでAPPを水槽の金魚のようにただただ見ていた、プールにいるほかの受講生や選手たち上げた水声と熱血講師の指導する声、そんな光景になぜか癒される。
子どもって、自らやりたいことに対する出せるやる気は、親がやらせる習い事に対するものとは遥かに違う。当初自分が習いたいピアノでも、この頃、突然に閃いたように、上手くなりまして、先生に褒められたら、またもっと頑張ろうの姿勢が現す。下手のため怒られることがあって、やめたい時もあった、そこで「大丈夫、もう一度練習してみよう」と声かけて、「誰だって、いきなり話ができて、歌えるではないよ、でも練習したらできる」繰り返し練習の重要さを気が長く教えたら、何とか続けてきた。
親として、意地悪くてわが子が挫折が受けることをわざと続けさせるではありません。やめるのが簡単、家計にもやさしい。だけど、自ら取り組みたいと言い出した習い事が、やり通して「やって良かった」の感想をして貰いたいんです。
水泳の進級テストを終わった後、一時間後APPは漢字能力検定の会場に座っていた。先日、学校で算数検定模擬テストを終え、お迎え行った時に、担任の先生が「Aさんはいつもひとつ上の級を受けますね」。「台湾にいたら、もう3年生ですので、家では3年生のドリルで学習しています」と答えました。「本来ならば」と言う考えで、飛び級学習もそうですが、中国語の読み書きも工夫してゲーム感覚で授かっています。漢字がわかればわかるほど、もともと中国語を話せるAPPは、無理なく漢字を日・中それぞれの発音で読めます。
兄弟がいませんので、時には姉さんに装って、お笑いのネタを大放出して笑わせる、と同時に、外国人ママの立場を活用して、「ママも一緒に頑張るよ、競争しよう」の発想はAPPが前回の漢検を受けた時に会場外でありました。初めての漢検、私はAPPよりまじめに問題集を取り組みました。解答と照合の結果、二人揃って見事に合格!(APPは8級、私は4級) これからもAPPとstep by stepチャレンジしていこうとますます意欲が芽生えました。忙しい一日の末、帰宅してAPPが大好きな牡蠣鍋と豚しゃぶしゃぶでご褒美しました。
2年生になってから、今までの読み聞かせの成果が現して、一年間およそ70冊の少年文庫を読みました。読書習慣が身に付いたら、親としてある意味でこれからは少し楽になれると思います、しなければならないのは、書籍のジャンルや内容を見張ることです。仕事に追いかけられながら、学校や習い事の送り迎えも怠けない日常で、わが子とわずか数年しかない成長期を共に思い出が綴っています。
昨夜、大掃除を終え、パソコンゲームで息抜き母と夜更かしあれこれ話しました。孫の話が何よりも盛り上がる両親が、娘である私の成長期の思い出を語ってくれました。親から子へ、子から孫へ、家系は世々代々大事な記録だと感じました。
そろばん進級・水泳進級・漢検が合格した後、今月は、中旬にある算数検定と来月のピアノ発表会の準備をします。これら知的の教育が何とか落ち着いてきましたが、中国古来の「禮義廉恥」「忠孝仁愛信義和平」と謂った内面的、精神的なものは、それ以上重要、インストールしなければなりませんと思います。親は、物語を語る名人であるのが好ましいですが、身を持って物事を語れるなら、もっと上段ですね。
春が来るまで、時にAPPのピアノを聴き、時にAPPと絨毯の上にならべて、母にお願いして購入してくれた、尊敬する作家・侯文詠さんがラジオ番組で推薦した何冊かの本を読んで過ごしてゆきます。
かれこれ我が家の親子日常雑談でした。「幼吾幼以及人之幼」、みないい子でありますように。 12/31/2007 遺書2007於過往者,
一律感謝,
於未來者,
全面警戒。
扮好現有角色,
做好既定功課,
能笑能涙,養好躯殼,
自有吾福之所在,
豈需汲汲營營哉?
阿霞駑鈍福薄,
願將潛心修道。
幸福之道,
諸君先躍。
11/6/2007 宗宗收宗宗:
惦著你一陣子了,前幾天好不容易見你上線,無奈自己趕著出門,也無心哈啦,只曉得你應該沒受到南加森林大火的波及,看你掛在那兒心裡就安篤些。
我要睡了你快醒了,有些事就留在這兒。
一、萬聖節那天吧,中午在餐廳讀了玉借我的書,就是那本深層催眠的。不顧眾目睽睽,我哭得唏哩嘩啦,好過癮。
二、小猴子用零花給我買只尾戒。我在京華城買了一只挺別緻的尾戒,大了點,小猴子上街給我找了只小點的,細細的,好讓我抵住京華城的那只。你知道的,我有多高興、多愛她。
三、透過學生引介,認識三個從嘉義來出差的朋友,說台語的機會多了,日語卻變拙了。哇咧……他們就要返台,週末約了一起去看海。
四、上個月去淡水,看到木質明信片,想起二十幾年前就收在你抽屜裡的那張,不過我沒買,都不是很好看。
五、耶誕節又要到了,2007年,回憶近乎零,也好。
六、上星期亮一同學從仙台來這兒出差,睽違一年半,我們去喝茶。不見則已,一見則話題難收。他是我見過最像樣的日本男人,是哥哥又像弟弟的好朋友。他們一家都安好。
七、今天身體不舒服,難受到回家路上握著方向盤想哭。我嘛,要說缺什麼,倒什麼都有,要說有什麼,其實什麼都沒有。我們都一樣,你還比我孤單些。
八、記得我上回講的那個怪夢嗎?那張熟悉得把我嚇哭的小孩面孔,太奇妙了。有太多我不明白的為什麼,而從這裡似乎能發現一些新的東西。
睡前我還想說,這幾年在佛門的義工活動,你的悟性早已令我望其項背,想到你,我就不能偷懶。明早起病痛全無,好好生活、好好學習。身旁無大事,一切普通,一切好。
9/24/2007 ブルーな夏、サヨウナラ 2007夏天終於消聲匿跡。
六月,一位年過七旬的學生從沖繩旅遊回來後,罹患腦梗塞,失去語言能力。去探望復健中的她,我們感歎人生的無常,相擁而泣。
七月,Sean 的父親才六十多歳就與世長辭。身為長子的他挑起所有重擔,原本工作壓力很大的Sean 只怕要再受夢魘折磨一陣子了。老朋友這時候幫不了他任何忙,只能在線上為他打氣。
八月,從大陸回來後,驚聞父親吐血緊急住院,不讓我擔心的母親先是封住弟弟妹妹的口,讓我很難過,離得再遠還不是一家人? 原來我們已經到了該為父母的健康提心吊膽的年紀。那幾週Sean 和Eric 等人毎天問候安慰,有朋友真好。
九月,來日本後的第一份工作終於宣告結束,於公於私都擠到人生的轉捩點,無奈此時沒有力氣心思做什麼決定,外邊人勤問以後怎麼辦,也只管沉默,延一天是一天。
新なルームメイト 二週間連続の三連休に、休日限定のDVD鑑賞で楽しみました。
もともとサスペンスが好きな我が娘と『TRICK』シリーズ(ふるっ~)をハラハラ、ドキドキしながら、ヒロインが一つひとつのトリック解けて行くのシーンを追いで、納得するようなしないような時間を過ごしました。
例えば、シリーズⅡの「時間の穴」なんですが、ヨシコさんがやった事を全部見通しされても、真冬の東京から数時間の車を乗るだけで、果たして本当に真夏のとある村へ辿り着けるのでしょうか? どうしても考えられません。もしかして「ハワイアンズ」に? でも冬季のハワイアンズは、室外まで暖くありませんし、それに蝉の鳴き声はどう解説するのでしょう??
とテレビを向かって考えている最中、突然、自分の右側に黒いのなにものがシュッーっと飛んでいるような気がする。戸締まりが用心しているのですので、あくまでも気のせいだったの、と、この時は思いました。
鑑賞終えて、もう寝ようとお手洗いに行ったら、ドアを開けた瞬間、ある黒いものが本当に飛んでいた!!反射的にドアをポンっと閉め。暫く待って、もう一度ドアをそっと開き、細い隙間から目がじっとして見えたのは、そこに止まっているちっちゃな蝙蝠でした、キャッ~!!!
いくら何でも、もうお手洗いのドアを開けられません。どうしよう、明日、大家さんにお願いしよう、でも休日だし、わるいじゃん。こんな時、女系家族は情けないなあ……。よし、明日朝、自分でお手洗いの窓を開けて退治しようと決めたら、娘を連れて車を出して、再寄りの7-11さんに……。
日本に来て、お手洗いの窓に雀が巣を築いて来て、蛇が雀の卵を食べに来たの目撃したことある。しかし、窓が閉めているのに、蝙蝠はどうやって……? 台湾にいた時、よその女性がゴキブリを見てキャーキャー騒ぐのをいつも「何よ、ゴキブリくらいで……」と思っていた私でも、さすがに別世界に住んでいるはずの蝙蝠と対面して「こんばんは!」とニコニコ笑えません。
妙なのは、どうしてトリックを観ていた私が、黒いものが飛んでいるな感じがしたの?不可解だわ。
前提として、娘が蝙蝠に襲われないことと、蝙蝠がお手洗いから出て家中に飛び回らなければ、一人で何とかできる。
朝、再びそのドアを開けて、猛スピードで入ってみたら、「えっ?何もない!」しかし、所々鼠と同じような排泄物が確かに我が家のものではありません(当たりまえじゃ)。結局、高いところに立ち、換気扇を覗いたら、あのベイビー蝙蝠がすやすや眠っているじゃないですか? 換気穴をマイホームにしたいのですか? いいでしょう。ふっと蝙蝠は夜行性動物であることを思い出して、慌ててホームセンターへ換気扇カーバを買って来て、べったっと貼り付けた。
いつまで居座りするかわかりませんが、私の世界に入って来なければ、どうぞごゆっくり。
9/23/2007 暑さも寒さも、お彼岸まで 春分・秋分の日に行われる彼岸会は、仏教的行事となる以前は日本人の農耕生活に深く根付いた行事であったと思われます。
彼岸会は「到彼岸」の意味とされる。すなわち現在、我々住んでいるこの迷妄の世界は「此岸」であり、仏菩薩の悟りの世界である彼岸に渡ることを目的とするのが彼岸会の仏教的な意味です。
国土の大半が温帯気候に含まれ、四季がはっきりしている日本には、「暑さも寒さもお彼岸まで」という言葉があります。地球温暖化の影響で世界各地に天異地変が起こっているんですが、少なくとも私が住んでいる日本の南東北には、「暑さも寒さもお彼岸まで」はまだ崩れていません。
「楽しみも苦しみもお彼岸まで」は、人生においての「~お彼岸まで」にぴったりではないかと寒さ感じる肌をこすりながら私は思います。
今日も一日お彼岸に近か着くことに、合掌。
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