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7/6/2009 夏へまた一日が終わってしまった そして今日も独りきり 何故こうなってしまったのか あなたは一緒にいてくれない さよならも言わなかったね 誰か、理由を教えてください 私の住む世界を凍らせたまま 本当に行かなくてはならなかったのか
毎日、自分に問いかけるんだ どこで愛が終わってしまったのか 何かが耳元で囁いてくる 一人きりじゃないんだって 一緒にいてあげるからって でもあなたは遥か遠くにいて 私はここに留まるしかない
一人きりじゃない 一緒にいてあげる 二人の距離は離れていても 心の中にしっかりと生き続けている 独りぼっちじゃないんだ
周りに誰もいない 何故なんだろう……
三つの言葉を囁けば あなたの元へ飛んでいく 必ずそっちへ行くから 約束するよ
何故なら一人きりじゃない 一緒にいてあげる 二人の距離は離れていても 私はずっとここにいる
決して独りぼっちじゃない こうやって傍にいてあげよう 遥か遠くにいても 心にはいつもあなたがいる
あなたはいつだって私の心の中で息づいているわ 2/12/2009 說好話,做好事,許好願 聖嚴法師遺教
●慈悲沒有敵人,智慧沒有煩惱。
○要用情操,不要用情緒。
●面對它,接受它,處理它,放下它。
○身體有病,心裡沒病,就不怕死。
●多想兩分鐘,你可以不必自殺,還有許多路可走。
○放下萬言石,眾身一肩挑。(聖嚴法師以此勉勵陳水扁,奈何頑石難點通……)
●虛空有盡,我願無盡。
○無事忙中老,空裡有哭笑,本來沒有我,生死皆可拋。
●寂滅為樂。
○我會乘願再來。 1/21/2009 新美國總統 歐巴馬 閱讀與學習,扭轉命運歐巴馬總統就職典禮演說(Barack Obama Inauguration Speech)
黑白混血、單親媽媽、隔代教養、勉強稱得上小康的家境,這些在一般人眼中極可能產生「問題兒童」的背景,卻造就了美國史上第一位非裔總統,歐巴馬。 愛與紀律,磨練心志 走到今天,歐巴馬絕非靠著偶然或幸運,他在自傳《以父之名:歐巴馬的夢想之路》(時報出版)透露,自己有過迷惘、混亂的青澀歲月,酗酒、嗑藥、吸大麻,找不到屬於自己的根、也不知道未來要做什麼,但是家庭和學校教育奠定下來的深厚基礎,成為他重獲力量的泉源。 六歲時,歐巴馬隨著二十四歲、改嫁給印尼人的母親安(Ann Dunham),移居到雅加達。 雖然念不起多數外國小孩就讀的國際學校(他先在一所天主教學校就讀兩年,之後轉學到普通公立小學,同學們都是穆斯林),母親為了補強他的課業,每天早上四點鐘就會叫他起床,強迫他吃早餐,接著開始為他上三小時的英文、聽收音機的美國函授課程,接著再去上學。 雖然小歐巴馬和其他孩子一樣,對這樣艱苦的學習極力抵抗,但在母親的耐心與堅持下,這樣的生活持續了四年,直到十歲歐巴馬回到夏威夷,由外公外婆撫養為止。 多元包容,突破框架
母親對他的教育,也不僅限於課業。這位出身自中西部白人家庭的女性,讓歐巴馬閱讀美國民權運動的書籍、黑人民權鬥士金恩博士的演講稿,告訴他許多跟他同齡的孩子,已經會上街遊行爭取權利,並要他以黑人民權運動家為榜樣,對自己的出身感到光榮,進而改變自己的命運,甚至改變社會。 母親也用身教來做他最好的榜樣。不僅兩任婚姻對象都非白人,她也身體力行對於不同種族、文化、階級的包容和關懷,親自到印尼鄉間幫助婦女和窮人,雖然當時印尼物質匱乏、貧窮落後,但母親教導他要敞開心胸、甘之如飴,並教育他要唾棄海外美國人常見的傲慢無知、盡快融入當地文化。 在黑、白、穆斯林的多元世界中過著「混搭」的生活,培養他更寬厚的包容力和更廣闊的視野。 雖然母親、外祖父母教導他對自己的出身感到自信與光榮,但是他的黑皮膚還是讓他在主流世界吃了不少苦頭,他在青少年時期也因此曾用酒精和毒品麻醉自己,不願去思考「我是誰」的問題。 揮別迷惘,從草根做起 儘管十歲與母親分離、父親也缺席,但外公外婆對他悉心照顧,雖然家境不寬裕,沒念過大學的外祖父母還是把孫子送進當地最好的學校(一千兩百名學生中只有三位黑人),期望他接受最好的教育,後來也順利進入優秀大學。
在哥倫比亞大學就讀政治系期間,他曾過著「和尚般的」生活,每天多半都待在圖書館埋頭苦讀,但是「我是誰」、「我要做什麼」的問題,依然在他腦中盤旋不去。 直到大學畢業前一年,二十一歲的他,接到父親車禍身亡的消息,彷彿一記重槌,敲開了他心中另一扇門,他對自己的未來規劃,開始和其他同學不同。 當他的黑白朋友們紛紛申請研究所或另謀高就,他腦中只有一個想法,「我要從底層做起,改變現狀!」他相信,「改革不能從上層開始,我要讓所有黑人有力量。」 改變只能靠自己 他放棄在紐約跨國公司的顧問機構擔任研究助理的職位(他還是辦公室唯一的黑人男性),一九八五年,啟程前往芝加哥南區,在貧窮的黑人社區做組織工作,成為社區工作者(community organizer),協助當地居民就業培訓、改善環境等。這些草根經驗成為他日後從政的重要養分,他也曾說,「正是在這些社區中,我獲得了出生以來最好的教育。」 三年後,為了讓自己更了解法律與權力的運作,他進入哈佛法學院就讀。與總統馬英九、司法院長賴英照同窗的法學院副院長安守廉(William Alford)回憶,法律系經常在正式課堂外,有小班的討論課,歐巴馬即便已了解上課的內容,但總是準時報到,想再進一步跟老師討論更深入的概念。
入學後第二年,他就獲選為權威的《哈佛法學評論》創刊一○四年來首位黑人社長,管理旗下八十位編輯。一九九一年,他更以「極優等」(Magna Cum Laude)的成績獲得哈佛法學院學位。 哈佛法學院的圖書室裡,還珍藏著他的畢業照;法學院的教授和波士頓市民都以他為榮。 直到一九九六年,在朋友勸說下,三十五歲的他決心投入政治,擔任八年的伊利諾州議會議員,二○○四年登上全國舞台,成為美國史上第五位非裔參議員、全國知名的政治新星。接下來,就是眾所皆知的故事了。 歐巴馬的故事,證明了聰明才智與種族無關,他用努力打敗種種限制,自己為自己帶來希望。 作者:洪家寧 出處:天下雜誌 410期 2008/11 11/1/2008 奇遇 標題掛了兩個多月,沒丟上一個字,不少朋友狐疑,在這窮鄉僻壤能遇到啥。
艷遇就甭想了。
去年十月三十日,APP的學校辦牧場參觀,地點是近郊的「郡山石筵ふれあい牧場 」。或許是和老師同學一起玩,特別有意思,即使過去也曾多次帶她到鄰縣那須高原的牧場玩,回來後她對我百般宣傳,說有如何如何地好玩,一定要“帶我”去開開眼界。
究竟好不好玩,在此就不予置評了,橫豎就是陽春牧場,只有最基本的設施。過午之後,冷風吹得我們直打哆嗦,在販賣部買了兩串味噌蒟蒻丸,取些熱氣,還給孩子買杯香濃的鮮牛奶,她拿出日記本,一面寫一面喝,比手畫腳地描述前天她和同學們在這牧場體驗了擠牛奶,要我學著她的手勢,強調要有韻律感,才擠得出來。隨後喝一口桌上的鮮奶,嘴邊白了一圈:「哇!想不到這裡的牛奶這麼好喝!」讚不絕口。
離開牧場,瞥見路標上寫著:「銚子ヶ滝まで5km」。記得有個學生曾建議我去這個日本瀑布百選之一的銚子瀑布看看,既然只有5公里遠,既來之則往之,索性按照路標的指示向瀑布前進。
沒多久,抵達一個登山道入口,沒有停車場,五六輛車零零落落靠邊停車。下車前,不忘帶上一個餅乾盒,時值深秋,沿途正好可以為姑媽撿幾片好看的紅葉。母女結伴登山這是第一次,APP平時好動,看似體力不錯,卻不擅長走長路,每年回台北,走不到幾步就想坐計程車。與其說她體力不佳,應該說是缺乏毅力。平時她不需走路上學,放學後去補習也是專車接送。和在台北時不同,台北街道繁華,對我來說,走千遍不厭。而這裡呢?住家到所有目的地之間的路段窮極無聊,想到就腳軟,加上學校基本上希望學童搭校車或家長接送,以測人身安全,導致APP不愛走長路。
今天她的心情卻似乎異常的好,捧著餅乾盒一路為姑婆物色長得好看的落葉,路上與我們插身而過的只有六七人。偶爾也出現「熊出沒注意」告示,心想天候已冷,野生黑熊也該冬眠了。一路上說說笑笑,打打鬧鬧地往深山走,聽見彷彿是瀑布的水嘩聲,以為就要接近,卻不見任何流水的蹤跡。我們畢竟不識山路,就在山裡任回音與山林之美戲弄。
眼看天就要黑了,才警覺自己此行多麼唐突,沒帶水,沒帶其他保暖衣物,沒有手錶,雖然不安,卻不甘願半途調頭,還好,在這麼想著的當兒,看見瀑布將到的告示牌,最後有一段極為險峻的下坡路,此地陰濕,泥土地滲水易滑,必須抓住一旁的鐵鍊踏實地下去,下去之後就能仰望瀑布,就差一點點了,我戰戰兢兢走在前面,APP也早將裝滿落葉的餅乾盒放進我的背包,小心翼翼……
險坡過去,才走幾步就看見瀑布,天真的要黑了,姑且不再靠近,隨手拍張照片後就要回去。這次APP走前面,我護著她。爬上那險坡後,APP回頭等我,她往下望著我的同時,瞄到一個身影,立在那兒,以為是登山遊人,沒料到那身軀倏地伏地,跑了起來。她睜大眼睛,一臉驚恐地壓低聲對我說:
「媽,有熊耶」。
「怎麼可能,都這麼冷了」我爬得喘噓噓地回她。
「真的有」。
我順著她的眼神看過去,哇咧!兩三百公尺遠處還真的有一頭圓滾滾的黑熊背對我們跑著!平生第一次體驗到何謂逃生,明明人家黑熊也不朝自己奔來,卻滴咕著不知道這山裡究竟有幾頭熊,回程會不會再遇見迎面而來的,如果被這頭黑熊發現,追上來怎麼辦,真的要裝死嗎?有勇氣裝死嗎?短短幾秒間想了好多,回程不算短,一開始就遇到熊,我只叮嚀APP:「如果當面遇上了,媽媽先和牠過招,妳就只管跑到停車處求救……」
路上又遇到兩組人,我告訴他們再走下去有熊,一組祖孫三代的遊客就做罷了,另外有一個獨行俠卻堅持入山,我一臉狼狽地祝他好運,後來的路上,就是不斷地跑了。
十一月一日是祖母的祭日,我和APP意外的在這一天有了這段奇遇。後來告訴學生們,連登過三十幾次富士山的人都說從沒遇過熊,直說我們很幸運。回家後上網查了一下,再度反省自己的莽撞。前往有野熊棲息的山林時,要避免清晨和黃昏時間,牠們多在這些時間出沒。而且,其實熊也不喜歡遇到人。所以,上山時,身上帶著鈴鐺或收音機,讓熊知道你來了,牠就會離遠一點。
難怪,接受我忠告的祖孫三人,回程上說話說得好大聲,當時急得想叫他們閉嘴,現在我明白了自己的無知。如今餘悸全消,入冬後,我又造訪一處“熊出沒注意”的「達沢不動滝」,高聲唱歌……
10/19/2008 感念王永慶先生 王永慶(1917年1月18日-2008年10月16日),祖籍中國福建泉州安溪縣金田鄉,生於臺灣日治時期臺北近郊的直潭(今屬臺北縣新店市)、逝世於美國紐澤西州。為臺著名的企業家、台塑集團創辦人,被譽為臺灣的「經營之神」。王永慶出身於窮苦的茶農之家,父名王長庚,母名王詹樣。其祖先是清朝道光年間福建渡海來臺討生活的移民。
塑膠大王:王永慶 王永慶出生於台灣省台北縣,原籍福建省安溪縣,是台灣著名的企業家。王永慶15歲輟學做學徒工,16歲時用父親所借的200日元自己開辦了一家米店,靠用心和勤奮努力站穩了腳跟,之後又經營過碾米廠、磚瓦廠、木材行、生產PVC塑膠粉等等,並在1954年籌資創辦了台塑公司。被譽為“經營之神”。50年後的台塑集團已經是台灣最大的民營企業集團,下轄台灣塑膠公司等9家公司,員工7萬多人,資產總額1.5萬億新台幣,形成了名副其實的龐大“王國”。1985年與其弟王永在捐出一億元給政府。 王永慶娶有3房,分別是王郭月蘭、楊嬌與李寶珠。其中大房王郭月蘭並未替王永慶生下一兒半女,二房廖嬌為王家生下了2男3女,三房李寶珠則生下了5位千金。王家二世男丁王文洋、王文祥皆為二房所生。另外王文淵則是王永慶弟王永在所生。
10/10/2008 『中国 静かなる革命--官製資本主義の終焉と民主化へのグランドビジョン』![]() 中国の完全民主化を予測 中国の近未来を予測する書。ただし、同テーマに関するほかの本とは大きく異なる視座に立脚している。それは、「2020年までに共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治体制に移行する」という予測を前提としている点だ。中国経済と国内事情を長らく研究してきた著者は、今も進行するそのうねりを「静かなる革命」と呼ぶ。
北京オリンピック以降、中国経済の成長は失速し、場合によっては致命的なバブル崩壊を迎えるといった見方は根強い。しかし著者は、他国の先例は豊富な今は「後発のメリット」が作用し、たとえ中国で資産バブルが崩壊しても有効な調整がなされる可能性が高いと見る。 これまで世界でささやかれてきた「中国崩壊論」がことごとく空論化と化した事実は重く、中国の市民は自由や民主化を望みつつも、共産党による安定統治を完全否定しない慎重さをもって変革を受け入れているのだと言う。「官製資本主義経済」が勝ち取った成長を持続させようとする力は、必然的に民主化に向けての政治改革を促し、それは現体制下における既得権益層の利益にも資すると読む。さらに、2020年頃に立つ指導者は、世界の実相を知り、グローバル経済の論理を熟知した人物であるとも予測する。
【目次】
第1章 ポストオリンピックの中国経済
1 転換点を迎えた中国経済 2 高まる構造調整の圧力 3 今後の展望 第2章 中産階層の台頭と民主化からの逃避 1 失敗を重ねる「中国崩壊論」 2 反面教師となった旧ソ連・東欧諸国の激変 3 中産階層と共産党の「同盟」 第3章 「中国崩壊論」の崩壊 1 構造変化を先導した共産党の変身 2 「弱勢群体」の形成 3 専制政体に資する伝統文化 第4章 政治改革の遂行へ背水の陣 1 2022年までの中国を見通す視点 2 リーダーシップと政治改革の可能性――「人の和」 3 政治改革遂行の「地の利」と「天の時」 第5章 経済成長が促す政治改革 1 社会主義市場経済は「官製資本主義経済」 2 政府行動の企業化(営利化)と脱公共化 3 持続的成長に向けて 第6章 民主化へのグランドビジョン 1 体制移行の契機 2 民主化に向けての助走はすでに始まっている 3 中国的民主主義は「和諧社会主義」なのか 4 和諧社会主義の構築に向けて ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【編集者より】
「北京オリンピックをピークに、中国経済は崩壊する」といったセンセーショナルな議論をよく耳にする。たしかに、資産バブルは遠からず弾けるだろう。すでに株式相場は、急騰のあと急落を続けている。インフレの高進は収まらず、オリンピックを待たずして経済は調整色を強めている。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 森谷正規・評 『中国 静かなる革命--官製資本主義の終焉と民主化へのグランドビジョン』 ◇かつての下放青年による漸進的民主化 北京オリンピックで高揚している中国だが、金メダルの数々に垣間見られた膨大なエネルギーをこれからどこに向けて、どのような国に発展していくのだろうか。 書店には“中国は崩壊する”という内容の本がずらりと並んでいる。著者を見るとこれまでも同種の本を出してきた中国が嫌いらしい人たちで、それに出版社が悪乗りしている。確かに中国は数多くの重大な問題点を抱えているが、それをあげつらうのが、日本にとって良いことなのか。 著者の呉さんは、二十数年前に来日して大学院で学び研究所で調査研究してきたエコノミストだが、共産党の次世代のリーダーが2022年までに民主化に向けての本格的な政治改革に踏み切ると予測する。さて、本当にそうなるのだろうか。 呉さんは冷静に中国の現状を分析するが、1980年に訪中して以来、産業、技術の面から中国を見続けてきた私も改めて知る実情を次々に明らかにする。オリンピックが終わると、それで盛り上がった経済が停滞に向かうという説が多いが、北京が中国経済に占める比率は4%に満たない。 これまでの中国崩壊論がはずれた根拠として挙げているのが、中国共産党は旧ソ連、東欧諸国の激変と大混乱を反面教師として、イデオロギーを脱し、経済発展を目指す政策に変身したことだ。自分たちの権力維持のためだが、いま共産党のリーダーは頑迷固陋(ころう)ではなく、状況を見てコロッと変わるのである。意外に柔軟で、世界情勢からの学習能力が高い。 中産階層が台頭すると民主化を強く要求し、体制を崩壊させ革命に至るという説が多いが、中国には当てはまらないという。なぜならば、急に豊かになった中産階層は、共産党の発展第一主義の恩恵を受けていまがあるからだ。知識階級まで、旧ソ連、東欧諸国の惨状を見て、しばらくは共産党でもよいかという安定指向に走った。 中国は飛躍的な経済発展を続けたのだが、それは官製資本主義であり、共産党が既得権益を維持、拡大するための改革開放であったと呉さんは論破する。共産党に近い層がベラボウに儲(もう)けて、それが中産階層から大衆にも及ぶ経済発展なのだ。走り過ぎた不動産バブルは間違いなく崩壊し、経済が冷え込む時期はくるのだろうが。 所得格差がさらに進んでいることは、データをもって示している。だが共産党は、アメとムチの政策で貧困層の抵抗を無力化しており、国全体に及ぶ反乱には至らないという。 中国の発展はオカシイと思うのは勝手だが、呉さんは、文化大革命で下放されて苦しみ、その後欧米に留学して目を開いた「知識青年」たちがリーダーになって、自(おの)ずから民主化への政治改革を進めるという見通しを述べて将来を弁護する。さらなる経済発展を遂げるには、官製資本主義経済を脱さねばならないとの論からであり、それが中国かと納得する。 抱える矛盾が大混乱を招かないか、甘いのではないかとも思うが、中国が崩壊したら日本経済はたいへんな不況に突入するのであり、やはり民主化して発展して欲しい。 中国崩壊論を激しく言い立てる者どもは、「謝辞」を読むと二児の母で女性であると分かる呉さんの冷静な分析を読んでみるが良い。私はかねてより、中国は長期に見ると着実に発展するという論だが、呉さんが言えなかったその根拠を私が挙げると、中国はトップも中産階層も大衆も、長い屈辱の歴史を脱して世界に冠たる強大国家になろうと切に願っていて、実現に努力をするであろうことだ。 毎日新聞 2008年9月7日 東京朝
10/4/2008 不孝阿扁!扁媽與扁弟百元過一天 阿扁的所作所為讓父母蒙羞,已是大不孝,自己享盡榮華富貴,卻未將老母接去就近照顧......
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前總統陳水扁家族捲入洗錢風暴,豪宅、名牌、美食,超奢華生活隨之曝光,獨獨遠在台南官田的扁媽與扁弟,生活大不同,煮飯打掃樣樣自己來,菜錢1天30元有找,節儉到令人驚訝,平平是陳家人,怎麼會差那麼多?
前第一家庭奢華生活眾所皆知,陳水扁愛名錶,夫人吳淑珍愛珠寶,公子陳致中愛名車,媳婦黃睿靚愛名牌,公主陳幸妤愛豪宅,駙馬趙建銘愛名筆;就連親家們也很奢華,豪宅、名牌包、百萬名車缺一不可,如同黃百錄所說,就算打腫臉充胖子,負債四十八億元也要借錢來充場面,這樣才不失了「第一親家」的面子。 相較於「第一家族」的奢華,遠在台南縣官田陳水扁的老家,扁媽與扁弟的超節儉生活,簡直是天壤之別。在台北陳家一日生活費,可讓台南扁媽過一年,一點都不誇張。 颱風剛過,前總統陳水扁的老家台南縣官田沒有災情,午後太陽一曬後地上馬上就乾了,村民很快恢復正常作息,泡茶聊天閒逛。阿扁老家的三合院裡,卻顯得安靜,右側邊的鐵門半開著,扁弟陳文狩的機車就停在門口。 一個拿掃把竿子當成枴杖的阿嬤,緩慢走出來,她笑著說,「沒事啦,昨天下雨都沒出門,今天沒雨了,趕快出門四處走走聊聊天,阿扁他媽媽不在家啦。」 阿嬤邊走還邊念,「真害喔,她人不太爽快,中午沒煮,她兒子去買了二個便當,沒吃幾口就吃不下,下午趕快去給醫生看了……。」 身為前總統的媽媽,居然會吃便當,似乎與第一家庭成員豪華的生活不太符合,讓人不禁好奇莫非是哪個名廚,或是大飯店的豪華大便當?對於這樣的疑問,阿嬤反而有點生氣:「這有什麼稀罕?便當一個五十元就很貴,不然人是能吃多少?」 人是能吃多少? 事實上,扁媽與扁弟在官田的生活,跟村民一樣,甚至更省。慈惠宮前雜貨店老闆娘就說,早上四點多,廟前會有一些賣菜賣水果的小販聚集在廟前,大家會來買菜,「嬸仔」也都在這裡買,大約四天來一次,都買一點豬肉、魚,家裡才兩個人,每次都不超過一百五十元。 鄉下東西本來就便宜,有時攤販看到是阿扁他媽媽,還會半買半送;可是「嬸仔」都不肯,一定要付錢,還說那是要拜拜的水果,不能不付錢,媽祖會生氣。 村裡大多數人稱扁媽為「嬸仔」,沒有因為陳水扁當總統而改變;同樣的,扁媽的生活,也沒有因兒子當總統而不同。老闆說,「嬸仔」的生活比他還省,一天花不到三十元菜錢;就連洗頭,也是一個星期去一次美容院,每次一百元。 據了解,每天早上五點,扁媽就會起床,廚房電燈就會亮起,有時夏天光線夠,根本就不開燈,家裡三餐,全由扁媽親手煮。買菜、煮飯由扁媽負責,打掃工作則落在扁弟陳文狩身上。 鄰居說,以前陳文狩在南科上班,早上七點多就得出發,騎四十分鐘車才到公司,中午帶便當,晚上回家裡吃,母子兩人生活簡單,扁媽吃完午餐後會睡個午覺,四點多去串串門子,等到兒子回家吃飯,晚上九點就熄燈睡覺了。 陳文狩下班後,會打掃家裡,掃地擦窗戶,就連大門口的油漆也是扁弟的傑作;為了符合三合院磚牆的樣子,還花了幾天時間,畫上磚塊的白線。 去年開始,陳文狩辭去南科的工作,不是因為阿扁當總統,而是為了照顧「嬸仔」。鄰居說,阿扁與阿珍結婚後,就去了台北很少回來,媽媽都是陳文狩在照顧,雖然他的腳有點跛,依舊自己找工作,甚至是找殘障職缺;沒有娶老婆,卻把家裡打掃得很乾淨。 怪扁太寵阿珍! 果然,下午四點不到,陳文狩穿著白色汗衫,拿著拖把屋裡走來走去,不時還會聽到鍋鏟的聲音。這時出門看醫生的扁媽,在親友扶持下緩緩走下車,緩緩走進屋內,臉色很差、背也很駝。 沒多久,屋內廚房的電燈亮起,穿著黑白相間衣服的扁媽,忙進忙出,陳文狩也在一旁幫忙,大同電鍋冒著煙,餐桌上已經有二盤菜,應該是陳文狩下午先煮好的;隱約聽到扁媽在說話,聲音倒還挺響亮,顯然身體好多了。 鄰居說,阿扁的事情,大家都來問她,只是鄉下人哪知道什麼叫「洗錢」,她煩得要死,煩到生病,好幾天沒有出門聊天,大家都很擔心,又不捨得罵阿扁,只能怪他太寵老婆。 鄰居說,自從阿扁當律師娶了吳淑珍後,就很少回家;尤其當了總統後,一年二次,過年與掃墓,都沒有過夜。吳淑珍更離譜,這幾年連過年都沒有回來,扁媽還幫她說話,因為身體不好,結果都被人拍到在台北逛百貨公司。 村裡的人都在替扁媽抱不平,有那種媳婦,卻有苦不能吐。鄰居說,扁媽是鄉下人,艱苦出身,吳淑珍是有錢人家的女兒,嬌生慣養,根本就瞧不起婆家,也不放在眼裡,算一算結婚幾十年,回來官田也沒幾次。 大家都知道扁媽的苦,都不敢在她面前罵,尤其最近出了洗錢的事,扁媽擔心又煩,想要問兒子,卻又不知道怎麼問,只好老是跑去慈惠宮裡拜拜求媽祖。 為了洗錢一事,台南縣警局擔心有人會去騷擾扁家,特地派了員警從早上六點到晚上八點駐守,對此,反而讓扁媽與扁弟很不好意思。 員警說,扁媽不時會拿水果請大家吃,陳文狩也很客氣,騎機車外出時除了點頭打招呼,都先牽到巷口才發動。 扁妹低調樸實! 員警說,扁媽與扁弟的生活就跟村民一樣,卻因為兒子當了總統,祖厝成了觀光景點,連生活作息全都曝了光,教人很心疼。 除了扁媽和扁弟在老家相依為命,過著清貧樂道的日子外,阿扁的妹妹們也沒有沾染奢華作風,和「親家」的貴氣相比,有天壤之別。 陳水扁有兩個妹妹,陳秀琴與陳秀金,兩人都當小學老師,婚後也都長住高雄。大妹陳秀琴和陳水扁感情最好,與哥哥相差四歲的她,不但自稱是「超級扁迷」,幾次在阿扁大選前、國務機要費案首度爆發時,也站出來力挺大哥,算是與扁政治上走最近的家人。 近兩個月來,扁一家身陷國務機要費及海外密帳的危機,人在高雄的陳秀琴也低調地閃躲媒體,不復以往直接在媒體前力挺這位「總統大哥」。 本刊在吳淑珍將出庭的前幾天,前往陳秀琴高雄住家,按了數次電鈴都沒有人回應,直到下午兩點十多分時,陳秀琴的丈夫莊老師,才穿著白色汗衫和短褲,走出家門。 也已從教職退休的莊老師,面容看來頗為嚴肅,但很有禮貌地與記者打招呼,卻不願回答任何問題,只簡單地告知「陳老師(指扁妹)不在」;聽到扁媽近來身體微恙去看醫生的事時,他則帶點訝異口吻說:「最近我們沒回去。」看得出最近幾天扁媽沒有特別和女兒聯繫,也沒告訴女兒身體不舒服的事。 對於扁媽近況,陳秀琴的老公僅簡單地帶過,說她身體確實是不太好,就婉拒記者的採訪。當記者離去後,他還邊甩手做操地走了門前的巷子一圈,確定不見記者的蹤影後才進屋。不到五分鐘,套上POLO 衫的他,又拿著一只黃色紙袋出門。 挺扁不遺餘力! 據悉,同住在高雄苓雅區的二位扁妹,三年前分別自五權及中正國小退休後,常互相串門子,偶爾還會相偕回娘家探視扁媽;長年來,兩人也都以行動支持哥哥,阿扁選總統時,她們還曾一起在競選廣告裡客串一角,小妹陳秀金甚至跑到台中幫忙輔選,不遺餘力挺扁。 不過,姊妹倆辦理教師退休時,都恰巧趕在軍公教人員的十八%優惠利率變動前,一次清領,此舉當時還引起高雄市議員的質疑,在議會強力質詢教育局長。 相較大哥大嫂在台北住的上億豪宅,在高雄美術館購置的數千萬元頂樓豪宅,陳秀琴和陳秀金的住家相當樸實。陳秀琴住在近苓雅黃昏市場的社區住宅,生活機能性強,且在五權國小及英明國中學區,算是鬧中取靜的好環境,屋齡十來年的社區,已經很多年沒有轉售交易的紀錄。 若以市價算來,陳秀琴住家樓中樓含車庫約近七十坪的格局,單坪可喊上十五到十七萬元,不過實際總成交價應不易超過千萬元。另由於該社區多是第一批入住的住戶,街坊鄰居多熟識,治安很不錯,只要一有外來人,鄰居們就會互相通報,也難怪各路記者到此,多難從附近居民的口中,得知任何有關於「陳老師」的事。 已五十出頭的扁么弟陳文狩,至今仍未婚,與扁媽同住官田老家。 始終沉默寡言的他,之前由於脾氣暴躁、不喜與人交談,被傳有躁鬱症;尤其是某一回,陳文狩因為受不了門外吆喝的小販和「觀光」的民眾太吵,氣得衝出去「翻攤」,嚇壞了在場人群,也讓派駐的國安人員好生尷尬。 陳文狩曾私下抱怨不滿,認為自己又不是動物園裡的動物,為何要關在籠裡每天被人觀賞?那段時間,附近的老鄰居偶兩會在晚上聽到母子倆大聲說話的聲音,有時內容會提到生活費的事;甚至有一回,扁弟還拿著鐵槌在家裡揮舞、亂搥,搞得天翻地覆,氣得住同一庄的老長輩要替扁媽教訓他。 扁弟性情大變! 不過,扁媽和老鄰居們聊天時,最後還是會替么兒緩頰,畢竟看顧了五十多年,陳文狩一直是她心中最放不下的一塊肉。其實平時情緒較穩定的陳文狩,也很孝順扁媽,雖然因腳瘸有些行動不便,但家中大小雜事他都會幫著扁媽處理,避免讓老人家過度勞動。 排行老大的陳水扁求學過程算是四個兄弟姊妹中最完整的,兩個妹妹也都在他的支持下,分別自台南師專及屏東師專畢業,但最小的弟弟就沒這麼順利,讀完高農後便入伍服役。街坊鄰居說,他的性格大變、脾氣暴躁,是當兵以後的事。 據同輩鄰居說,陳文狩入伍後,因軍車翻覆意外,使得他腳嚴重受傷,雖然送醫後開過刀,但右腳還是瘸了,自此陳文狩也變得不愛說話,連以前熟識的街坊好友都不太往來,沒工作的時候就閒賦在家。 離家的大哥陳水扁在政壇闖出名,但扁弟卻不喜歡被人和哥哥的名字連在一起,尤其他找到工作後,只要有人提到陳水扁,或他就會變臉不說話,或說些嘲諷自己的話,隔天就不願意再去上班。 阿扁曾幫他介紹到隆田酒廠、長榮工程等去工作,但他都沒有待很久,陸續換了至少十多個工作;三年多前他開始到南科去上班,不過現在也沒再繼續。 和扁媽年輕時就一起下田、相識約七十年的老阿嬤說,早年扁家後方的芒果樹田,還看得到扁弟去整理,不過後來都是同輩堂兄弟在幫忙,扁媽也比較少去巡田了;那塊地是扁爸賺錢買下來的,以後要怎麼處理,還是得看扁兄弟的決定。 颱風過後的星期一,扁媽心情不好,身體又不舒服,在親人護送下去看醫生之後返家。 90歲的阿嬤來找扁媽聊天卻撲空。 扁弟陳文狩在家裡拖地,等扁媽回家。 惠安宮廟前廣場,是扁媽買菜的地方,1天菜錢不到 30元。 扁家廚房桌上已有兩道菜。 扁媽在廚房裡準備兩人的晚餐。 扁媽的儉樸生活,與陳家人相差極大。 村民對於吳淑珍有體力逛百貨公司,卻沒體力回家看扁媽,很不諒解。 扁妹陳秀琴的老公低調地婉拒採訪,等記者離開後才換裝出門。 陳水扁的兩個妹妹陳秀琴和陳秀金,都是超級扁迷,數年來以行動力挺大哥。 陳文狩與哥哥阿扁少有互動,也不太喜歡人家在他面前提起哥哥。 鄰居說,扁老家後方的芒果田和荒廢屋地,是扁爸賺錢買下的,現由扁的堂兄弟們幫忙整理。 9/26/2008 中國奸商,無毒不嘔介紹中華人民共和國國家質檢總局李長江局長在2007年7月17日,因寵物食品內被驗出三聚氫胺事件時所發表的緊急演說。
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這次緊急會議,是總局針對當前產品質量監管出現的新形勢、新問題,決定召開的一次非常重要的會議。會議的主要任務是:貫徹落實中央有關部署,分析當前產品質量監管,特别是食品質量安全監管工作面臨的新挑戰,明確當前和今後一個時期的任務措施,動員全國質檢系統各級機構和廣大幹部職工,認清嚴峻形勢,增強憂患意識,振奮精神,狠抓工作落實,全面加強產品質量安全監管工作,堅決維護人民利益和國家形象。下面,我講四點意見。
(一)國外媒體蓄意炒作,製造中國商品威脅論。 一是由點到面不斷擴大炒作聲勢和影響。美國寵物食品“三聚氰胺”事件發生後,引發了境外對我國食品安全的高度關注,尤其美國媒體大肆渲染我食品安全問題,先後炒作鯰魚藥物殘留事件、冷凍魚致人中毒事件、巴拿馬藥物中毒事件、二甘醇牙膏事件、中策輪胎安全事件,等等,炒得沸沸揚揚。由於受美國主流媒體的影響,歐盟、加拿大、瑞士、新加坡、日本、南非、韓國、巴拿馬、越南、馬來西亞、澳大利亞等國的一些媒體,都参與其中,反復報導我國出口牙膏、牛肉、蒸米、寵物食品、植物蛋白原料、水果、蔬菜、大米、水產品、玩具、紡織品、陶瓷、兒童沙灘車、輪胎、風味食品等產品存在質量問題,妄加評論,給我造成了極大影響和損失。 二是把個别產品的問題上升为對中國製造的普遍懷疑。這次蔓延到許多國家對我國食品問題的炒作,雖然都是針對個案的產品,但一些國外媒體,動輒以“有毒”、“致癌”、“污染”等字眼,把個别食品問題說成是整個中國食品的問題,把個别不法企業的問題說成是中國政府監管體制的問題。而且由食品擴大到其它產品,用意十分險惡,有意引起國際社會對中國食品乃至“中國製造”的普遍懷疑和擔憂,破壞中國產品在國際市場上的整體聲譽,製造“中國產品安全威脅論”,把中國產品妖魔化,達到在經濟上嚴重影響我產品出口貿易,在政治上破壞我國的國際形象的目的。一些媒體甚至建議,目前最有效的辦法是把“中國製造”的標籤視作假冒偽劣的警示,進口商、零售商不要經營中國商品,消費者應當拒絕購買任何中國產品。
三是從產品質量安全問題質疑對華貿易政策。近來一系列出口產品問題的發生,使美國方面對我國一些企業的商業道德失去信任,對我國食品安全監管體制產生懷疑。美國消費聯合委員會官員發表評論:“中國出口的商品安全問題日益嚴重且涉及多個領域”。美衆議院農業撥款小組委員會主席德勞羅稱:“中國商品幾乎每天都出現新問題,已到了無法控制的地步。”有的媒體甚至對食品安全問題借題發揮,提出中國融入國際經濟體系缺乏適當的國內經濟和社會基礎,認為中國政府控制食品安全及相關問題,至少還需要一代人的時間。同時,認為美等西方國家對中國進入全球經濟體系并沒有做好准備,未能及時更新進口產品監管體系。有的媒體還說,美國的產品安全政策已過時,應專門制定一套針對中國進口商品的政策和制度,要向中國施壓促其改變做法。
三是國內外標準存在較大差異。近年來日本、歐盟等主要食品進口國大幅提高農獸藥殘留檢測標準,有些標準幾十、幾百倍地嚴於我國。如日本“肯定列表制度”對794種農業化學品設立了67140項限量標准,而目前我國僅制訂了234種農獸藥的1136項限量標準。日本標準嚴於我國的就有120種、622項之多。而我國標準低、老化、重複等問題并沒有從根本上解決,這也是造成我國產品競爭力不強的一個很重要的原因。
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是不是歎為觀止呀? 身為國家質檢局領導人,針對問題完全沒有具體改善的言論,沒有重點,甚至不見真誠反省。反而教育人民仇外,批評受害的海外國家倒是一張嘴特別辣。 應該這樣嗎? 圓太空大夢,值得讚賞,但在食物上像做化學實驗一樣加些根本不該加的物質,不顧國民最基本的飲食安全,最愛面子的國家落得海外人人嗤之以鼻,表面好看又如何呢? 不如縮減航太武裝等預算,普及禮義廉恥的教育,教人民頭腦好,心地要更好,同時,即使動搖國本也要全面勦毒,而不是搶人的喊抓賊,怪外國人不買中國貨!
說到禮義廉恥,這次毒奶事件由中國當局發布,已經進步很多了,知恥近乎勇,我們要肯定中國政府的勇氣,因為認錯是改頭換面的開始。
我不是該國子民,了解他們的本質,對中國貨(禍)慎存戒心就好,最該忿怒的是中國人民!而國內的行政機關、食品產業透過這次教訓,衛生署和各食品廠的安檢不能再睜一隻眼閉一隻眼。消費者每月繳稅,買吃的也付錢,就養你們這些廢物嗎? 消費者憑什麼要成為不肖業者的犧牲品?
今天上街丟麵包的業者,由於毒奶事件影響,業績下滑,怪罪政府讓社會動蕩不安,要求減免營業稅,可有此一理? 沒錯,政府確有把關不周的責任,而上街丟麵包的業者,你們不是重獲益貪便宜才用中國貨?? 你們也有為食品安全把關的責任,別再上街丟人現眼了,痛定思痛,強化品檢體制,才是重獲消費者信任,企業再生的唯一法門。 |
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